ハレルヤー!
私がお世話になってる教会では毎週月曜曜日は主日の御言葉の噛み砕きや聖書の勉強会があります。
昨日は聖書の勉強会で「テサロニケ人への第一の手紙」の章の勉強会でした。
この手紙は使徒パウロがテサロニケ教会の人々に向けて送った手紙なんですが、テサロニケ教会の人々が御言葉を神様だと分かって貴重に思い信じて行なってきたから そこに神様が働いてくださっているんだ〜と書かれている箇所があります。
テサロニケ人への第一の手紙2:13
「これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として-事実そのとおりであるが-受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。」
御言葉を伝えてくださる鄭明析(チョンミョンソク)牧師先生も御言葉で
「御言葉を詳しく読むことが神様、聖霊様、イエス様を見たことだ」と仰ってます
御言葉🟰神様、聖霊様、イエス様ってことです!
昨日は本当に御言葉が核心なんだとアーメン!でした。
だから鄭明析牧師先生は日曜日の礼拝は神様に会う時間だから私達にとって核心の時間だと仰いました。
この講義を聞きながら御言葉は貴重だと分かっていたけれど本当に悟れてなかったことがあらわになりました。
なぜそう思ったのか?
実は 主日礼拝の前日 「教会のトイレが使えないので来られる方は気をつけてください」とお知らせが流れたのです。
その知らせを見て「最近御言葉 ボリュームあるしトイレ使えなかったら大変だから コロナの時みたいに家で守ろう!」っと決めました。
それから夜になって「トイレが使えるようになりました」っと連絡が流れました。
でも、私の頭は「明日は家で主日を守る」という考えになっていたので、結局 聖殿に行かずに家で守ったのです。
昨日 この講義を聞いていて「御言葉が本当に貴重で命だ!」と本当に思っていたら トイレが使えるとか使えないとか問題ではなくて 体調が悪くない限り聖殿に行って御言葉を聞くのが新婦の姿なのに、そうできなかった自分を悔い改めました。
今年2023年 残り3ヶ月切りましたが、霊とまことによって礼拝を捧げたいと思います。
大阪主愛教会 CGM(キリスト教福音宣教会)
大阪のふなっしー好きなおばちゃんでした〜。
今日も訪れてくださってありがとうございます!